どうも、スタッフの中神です。2度目の投稿、張り切って書かせて頂きます。

国士無双という役満があります。本日はそれについて。

題材の国士ですが、その出現率は0.04%とも0.03%ともいわれています。ルールや面子の習熟度にもよりますが概ね2000~3000局に一度出現するとして、これでも役満の中では出やすい方です(天和は33万分の1)。

自分は過去(プロテスト前日)に海底で自摸和了した1度きりで試行回数からすると大分嫌われているのですが周りではよく出ていて、ここ数ヶ月は「国士期間」といってもいいほど国士を目撃しております。

ここからは自分の勝手な見解ですが国士無双という役満は、「わかっていても打ってしまう」役満だと思っています。

手練れの皆さまはよくご存知のように、国士の捨て牌というものは余程都合よく配牌とツモを貰えない限りは「アキラカ」です。これはもう相当に「国士色」が出ます。見る者がみれば嫌でも国士だとわかり鳥肌がたってしまう、いわば「国士アレルギー」を引き起こす並びとなります。

にもかかわらず、国士に打ってしまう犠牲者は後を絶ちません。なぜでしょうか?

七対子と同じく国士無双は4面子1雀頭という麻雀の大前提から逸脱した異端な役です。故に捨て牌も「国士色」が出るわけですが、重要なのは国士必須構成牌であるヤオチュー牌の切られやすさと、出現率の低さ、そして待ちの悪さです。

国士に打ってしまう人(最序盤での事故やリーチ後等特殊な場合を除く)がみな全くのノーケアで放銃していると思いますか?答えはNoです。皆大抵は「あっち、国士だけどなぁ」とわかってて打っているのです。して、ロンの声がかかった瞬間(手牌を倒される前)に絶叫してしまう放銃者の反応は至極正しいものといえます(?)

結局のところ「国士色」が出ていたところで自分の手に絡みにくい「切りたいヤオチュー牌」2000~3000局に1度の「低出現率」純正でなければ1種待ちとなる「待ちの悪さ=当たりにくさ」これらの要素に自分の手の価値や点数状況等が加わって、「あっち、国士だけどなぁ。でもまぁ打っちゃうか」となります。目の前で役満を狙われているにも関わらず「国士色」自体が「引き」の判断に影響しにくいのです。

これが大三元ならばどうでしょう?三元牌を2副露され残りの1種も見えてない場合、その1種を打つことは基本的にありません。打つにしてもかなりの度胸と理由が必要です。聴牌が濃厚ならば三元牌に限らず、現物以外は極力打ちたくないものです。皆さまも相当神経質に慎重に立ち回るのではないでしょうか。つまり捨て牌に出る「国士色」とは違い、副露に出る「大三元色」は「引き」の判断に大きく影響を与えるといえますね(面前は考慮しません)。

して、ここまで読了の貴方様には「国士はわかっていても打ってしまう」役満ということがおわかり頂けたことと思います。そのうえで自分が言いたいのは、「国士にはわかっていても打て」です。多少暴論的な言い回しかもしれませんが、国士を考慮しすぎてもいいことはないということです。

国士をケアしすぎて押すべき状況・手牌を毎回押さないことによるデメリットと、国士はケアすべき時のみ引いて、押すべき状況・手牌は毎回押すことによるメリット。この2点を比較するなら、後者のメリットを取ったほうがロングスパンでの成績は確実に上がると考えます。

結果として時には国士に打つこともあるでしょう。しかしそれが押すべき時だったならば反省する必要はありません。貴方がしっかりと状況を読み解き、国士に対し毎回正確な押し引きをしているならば、その1局と引き換えにその他数々の局でその失点以上の加点を得ている筈です。

「打って悔いなし」理論的にそう胸を張って言える放銃だったのか。それこそが真に大切な事なのです。